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芦田均日記からのひとコマ

2015年11月19日 22:42

日本の第47代総理大臣である芦田均の日記より。
芦田均は、京都府出身の外交官であり、1932年より政界入り。1948年3月には総理大臣に就任しましたが、同年10月に内閣総辞職となりました。

短命政権であったうえに、その後の吉田茂内閣(第二次以降)が控えていたことから、比較的影の薄い在任期間であったことは否めません。しかしながら、道路マニア的な分野としては、没後に出版された「芦田均日記」に当時の貴重なひとコマを記録しています。


-「芦田均日記」より引用-
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「十一月十七日(月) 晴
 食欲も良好、朝はねむし。体の調子がよいせいかと思う。加佐郡大江町長以下十三名来訪。国道三四号線の廃止を聞いて存続の陳情に来たのである。」



ちょっと語句の解説を挟みますと…

□加佐郡大江町
 京都府にある町でありまして、当時は福知山市に隣接していました。現在は2006年1月の合併により福知山市となっています。芦田均は天田郡中六人部村(1955年4月に福知山市へ編入)生まれであるために大江町の出身ではないのですが、まぁ同郷者の来訪と言えます。

□国道三四号線
 戦前の道路法(大正8年法律第58号)に基づき指定されたいわゆる「大正国道」の「三十四号」のことでありまして、京都府福知山市から舞鶴市までを結んでいました。現在の国道175号ルートに相当し、この沿線に当時の加佐郡大江町も位置しています。

□国道三四号線の廃止
 戦後の道路法(新道路法)に基づく一級国道指定案では、大正国道三十四号を廃止して一級国道28号を指定する予定となっていました。大正国道三十四号の「福知山市→大江町→舞鶴市」ではなく、一級国道28号では京丹波町→綾部市→舞鶴市という経路を予定していたため、大江町は新たな国道ルートから外れる見込みとなっていました。

□国道一八号
 同じく「大正国道」の「一八号」のことでありまして、おおむね現在の国道9号に相当します。



つまるところ、「大江町は新道路法では国道から外されてしまう。何とかしてくれ。芦田総理は大江町の出身ではないけど、まぁ地元の話でしょ?」という陳情の話です。

結果的には、当時の佐藤栄作建設大臣が事務次官に口利きしたことで、大江町を通るルートは一級国道からは外されたものの、二級国道175号として存続することとなりました。国道指定当時の背景事情が垣間見られるエピソードの一つと言えます。


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