有料道路であった安治川大橋と第二阪神国道の事情

2016年03月19日 23:06

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本日Upした国道43号(その3)でもコメントしていますが、大阪市此花区から港区にかけての安治川大橋の前後では、ほとんど分岐もなくずっと高架橋となっている区間が続きます。
これは1963年から1969年まで、安治川大橋が日本道路公団によって有料道路として供用されていたことの名残です。

実はこの橋梁は建設省直轄工事として1958年により調査測量が行われ、1959年には着工されていました。
「建設省直轄工事」というのは、一義的には日本道路公団による工事でなく、無料の橋梁を前提としていたことを意味します。しかしながら、1959年に突如として日本道路公団による工事に変更され、有料道路として供用されることとなりました。

なぜ、無料の道路として計画されていた路線が有料道路となって供用されたのか?
そこには当時の複雑な背景事情が透けて見えてきます。


(1)日本道路公団の事情

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 1959年当時は、後に本格化する高速道路時代がまだ到来していない時代。日本道路公団の業務は高速自動車国道の運営ではなく、一般有料道路が主となっていました。日本道路公団でも当初は県から承継した有料道路事業があったものの、公団独自で新規の路線を開業しようとすると収支的に見合わない路線が多くなってしまうことが見込まれていたようです。
 そこで、国としては「有料道路にする必要は別に無かったけど採算がとれる路線ならば、それらを日本道路公団の有料道路として建設させてしまえ!地元には『有料道路だと料金徴収は発生するが、開通は大幅に前倒しできる!』とでも理由付けすれば何とかなる!(※大幅な意訳含む)」という方針を打ち出し、建設省で候補路線を選定。そして、有料化の候補として挙がってきたのがこの安治川大橋でした。


(2)大阪市の事情
 第二阪神国道(現在の国道43号)の建設が進むにつれて阪神間の交通容量の強化が図られていきましたが、安治川大橋の前後の道路が未供用であったことは付近の道路交通上の大きなボトルネックとなりえました。これは、第二阪神国道で道路が一旦途切れてしまうため、大動脈たる第二阪神国道を走ってきた車両が安治川の手前で迂回を強いられ、道路交通が安治川付近で大幅に停滞することを意味します。そのため、大阪市としては付近の渋滞回避という面でも安治川大橋の早期開通が重要という見解であり、「有料化に変更することで、安治川大橋が早期開通されるのであれば、それが最善」という意向だったようです。


(3)結 果
●建設省直轄工事から日本道路公団による有料道路に変更されたため、安治川大橋は料金所の設置や橋梁の構造の設計変更などでイレギュラーな対応がとられました。
●1963年に安治川大橋が開通すると予想を上回る交通量により料金収入が確保され、開通後わずか6年という超短期で償還終了となりました。これは、交通需要が非常に大きい路線であったこと、トラック50円・乗用車30円という当時としては割安な通行料金設定だったことが寄与していたようです。
●一方、後に木津川・尻無川付近まで第二阪神国道(現在の国道43号)を延伸させる際は、当時の建設大臣により「何でこういうような交通量の多いところを有料でやらないのか?都市近辺のバイパス(採算の取れるところ)は有料でやるべきだ」というお達しがあり、延伸部である木津川・尻無川の橋梁は有料道路とする方針になりました。安治川大橋の時は日本道路公団が工事を受託したのに対して、木津川・尻無川の場合は事業主体が決定した1966年時点で既に阪神高速道路公団が発足していたことから、阪神高速道路公団の事業と決定されます。しかしながら、日本道路公団は一般有料道路として橋梁のみの有料道路も多々展開していたものの、阪神高速道路では橋梁だけを有料道路とする手法はとっておらず、あくまでも都市高速道路の路線網の一つとして有料道路を運営する手法をとっていました。これによって、木津川・尻無川の有料道路橋梁は阪神高速17号西大阪線として組み入れられ、償還が満了して無料化された安治川大橋とは別の道を歩んでいくこととなります。

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↑阪神高速17号西大阪線

安治川大橋の構造の特異性、阪神高速17号西大阪線が安治川大橋の手前を終点としている理由など、今となっては当たり前として受け入れていることも、意外に過去の制度・経緯に大きく影響された結果なのだな…という感じはしてきます。
特に阪神間の道路は色々なドラマにあふれているようで、道路マニア的なネタには事欠かないかもしれません…。

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