高速道路用案内標識の歴史C-2

2014年01月25日 07:56

前回に続き、「中央高速・東名高速」時代の標識を取り上げていきます。



■116-A・116-B「サービスエリア」

【運用変更:旧】

bl-o125-1967-116z.jpg

【運用変更:新】

bl-o125-1967-116a.jpg bl-o125-1967-116b.jpg bl-o125-1967-116d.jpg
[左:政令規定無し / 中央:116-A / 右:116-B]

こちらも色々と変わりました。

(1)縦長から横長(二段構成)に
 従来のものは縦長でシンボルマークを配置していましたが、案内標識を二段構成に変更し、上段にシンボルマーク、下段にSA名や距離(1km手前・2km手前等)を記載することになりました。比較的現在のものに近くなっています。
 ちなみに縦長から横長に変更したのは、後述のとおりサービスエリア名称を記載するにあたり横長のデザインにした方が文字を入れるスペースを確保しやすい…という事情だったのだとか。
(2)2km手前の予告標識を追加
名神高速時代は1km手前に予告標識を設置するだけでしたが、先に少し言及したとおり、SA入口付近の交通事故はSAの予告標識の不足に起因することが多い旨判明し、2km手前地点にも予告標識を設置することとなりました。典拠書籍の一つによれば「利用者はサービスエリア利用の判断に時間がかかることもあることが分かったので(多人数が一大に載っている場合意見の一致の間の時間などである)さらに2km手前にも予告を置いた」とのこと。[1971-03(28)]
(3)SA名も記載(ただし1km手前地点と行動点のみ)
 二段構成になったことでSA名称も記載されるようになりました。しかもローマ字併記原則禁止の時代にありながら、SA名については例外的にローマ字併記OK。ただ、SA名称が記載されたのは1km手前地点と行動点のみであり、2km手前地点では下段に「2km」と記載され、SA入口分岐点には下段部分に大きく矢印が記載されていました。現在のようにSA入口分岐地点等にもSA名が表記されるよう様式となったのは政令上1986年からとなります。
(※「分岐点」「行動点」の意味はB-1を参照)

なお、このサービスエリアの様式変更は道路公団独自の取組みであり、政令改正は1971年になってのことでした。なので、1967年から1971年までは政令と実際の運用でズレが生じていたことになります。更に、2km手前の予告標識については1967年と1971年の政令改正でも盛り込ませんでした。この時点では上の画像のうち左端の様式が使用されますが、後には「106-B(いわゆる確認標識)」を流用した予告標識が主流となります。



■117「パーキングエリア」
※説明の都合上、非常駐車帯(116の4)の後に持ってきてみました。

【運用変更(新旧併用)】

bl-o125-1967-116e2.jpg bl-o125-1967-116e.jpg

政令上は「P」の標識(左側)のまま特段の改正はありませんでしたが、中央高速・東名高速の時代からはSAの様式を流用した右側のタイプが設置されるようになります。

名神高速道路時代は、「PAは駐車場のみ、SAはトイレ・売店等併設」という考えでした。なので、PAは単に「P」のマークの標識だけで足りました。しかし、中央高速・東名高速の時代になるとPAも原則トイレ設置に変更となったうえ、売店併設のPAも出現。単なる「P」の標識では不適切となったことから、やむなく政令上「サービスエリア(116)」に規定されていた様式をPAにも流用することになりました。そもそも、名神高速時代は厳然と区別されていたSA・PAの違いも現在ではかなり曖昧になっているわけですが、既に中央高速・東名高速の時代からその萌芽が見られたわけであり、それに伴って政令と実際の運用でもズレが生じていました。
(厳密に言うと、政令上は116について「休憩所から又は駐車場」と言っていますので、116の標識をPAで使用しても全く問題ないのですが…。更にはSA・PAの違いも道路法体系で(一応)きちんと定められてはいます。)

売店併設のPAの場合、この「売店」をどのようなシンボルマークで標示するかが一つの論点となったようですが、「SA」用のシンボルマークである「P」「給油所」「レストラン」「修理所(スパナ)」のいずれも「売店」を意味するにはしっくり来ず。結局、当時の道路公団で上の画像のようなかわいらしい屋根の建物が「売店」のシンボルマークとして考案され、中央高速・東名高速の路線で登場していくことになります。

標識の設置場所はサービスエリアとは異なり、予告標識は1km手前のみで、2km手前には設置されませんでした。また、PA名称は1km手前と行動点のみに記載され、分岐点には従来通り単に「P」の標識が設置されました。ローマ字併記もなぜかPAについては原則無しです。



■(政令外)「トンネル内点灯せよ」「消灯確認」

bl-o125-1967-901a.jpg bl-o125-1967-901b.jpg

今でこそ当たり前に見る標識ですが、普通に設置されるようになったのは中央高速・東名高速の時代からです。当時としては「トンネル内部は数百m先も問題なく視認できる明るさであり、トンネル内に入っても前照灯を点灯しない車両も多かった」とのこと。まぁ、現行の道路交通法でも自動車専用道路の場合は200m先まで明瞭に視認できるトンネルであれば点灯せずとも大丈夫なんですね。(道路交通法施行令第18条)

ただ、当然に比較的明るいトンネルであってもライトを点灯した方が望ましいわけでもあり、特に対面通行区間の存在した中央高速(当時)であればなおさらのこと。この標識の設置によって、ライトの点灯率が改善したのだとか。



■(政令外)「トンネル名称・長さ」

bl-o125-1967-902.jpg

 名神高速道路の時代は、トンネルがあってもトンネル名称を示す特別な標識は設置されず、通常の銘板がトンネル上部に埋め込まれているだけでした。ただ、(1)トンネルも地点把握にあたって重要な情報であること、(2)通常の銘板では一般道路と異なり非常に判読しづらかったことから、中央高速・東名高速の時代よりトンネルの名称と長さを示した特別な標識が設置されることとなります。
 更に「長大トンネルの場合はドライバーに不安を抱かせる」という理由もあって、トンネル名称の下にはトンネル延長も併記されています。確かに日本坂トンネルのように長大トンネルの場合はあらかじめトンネル延長が無いと不安になったことでしょうね…。
 考え方としては、「著名地点」の標識の下に「トンネル長さ」の補助標識を設置した…という感じの様式になっています。



■路線バス停留所(政令外)

 従来は「路線バス」という文字と矢印だけの標識でしたが、中央高速・東名高速の時代からはバス停名称の併記が原則化されます。当時はおおむね通過する1市町村に1箇所は設置されていた感じでしたので、この路線バスの標識が実質的に地方部における市町村位置の案内を兼ねることとなりました。あくまでも「ここから××村」というよりも「ここは××村」という感じだったことと思いますが…。




■車間確認標識

bl-o125-1967-903a.jpg bl-o125-1967-903b.jpg bl-o125-1967-903c.jpg

 高速道路初期の時代で車両相互の事故としては「追突」が全事故の70%を占めており、特に大型車の速度が低下する山間部に多発していました。そこで、東名高速道路でも顕著な山岳区間である大井松田IC~御殿場ICにこのような車間確認標識が試験的に設置されます。

 現在のものは「0m」の下に「確認起点」とあるだけで50m(40m)地点と100m(80m)地点には数字だけのものが設置されていますが、当時は50m(40m)地点が「危険車間」、100m(80m)地点には「安全車間」と併記されました。(今でも「危険車間」「安全車間」と併記された車間距離確認標識もたまに見ますが…)

 この車間距離確認標識は良好な成績をおさめたことから、全国に普及されることとなります。現在は0m地点の「確認起点」のみ併記があって、「危険車間」や「安全車間」の併記は省略されているものがほとんどですが、現在でもたまに「危険車間」や「安全車間」を併記したものを目にしまして、それらはこの東名高速時代の様式の名残だったりするわけですね。



■登坂車線

bl-o125-1967-904b.jpg

 高速自動車国道における登坂車線は、当方が確認した限りでは中央高速・東名高速の時期が最初のようです。これに伴い、登坂車線の標識も上記のようなデザインで設置されました。政令で正式に「登坂車線」の案内標識が追加するのは1986年の大改正になるのですが、現行の様式との違いを述べると「遅い車は」という記載があること、英文併記がないこと…と言った点が挙げられます。




 高速道路の一般的な時代区分としては「東名高速」の次に「新規五道建設」をもってくることが多いですが、高速道路用案内標識の体系としては「中央高速・東名高速」の時代である程度の完成を見ており、以降1986年の大改正までは特段言及する改正・運用変更はありません。次回はかなり20年ほど後の時代となる「D 1986年ローマ字併記の時代」を記述していきます。(多分現行の標識をずらずら並べることになりますので、これまでとは違ってあまりおもしろみも無さそうですけど…)


スポンサーサイト


最新記事