高速道路用案内標識の歴史A-1

2013年03月25日 22:53

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緑地に独特の字体によって設置された高速道路用案内標識。
日本では、1963年の名神高速道路開通を期に、従来の標識体系とは異なる特別な標識群が追加されるに至りました。名神高速道路は当時の日本で初となる高速道路であったことから、ルートの計画や建設・管理などについては外国の手法等を大いに参考にしつつ検討がなされましたが、標識体系もその一環で様々な角度から検討されています。

時代的には、
 A 試験検討時代
 B 1963年の名神高速時代
 C 1967年の中央高速・東名高速時代
 D 1986年のローマ字併記時代(確認標識の統合)
の四区分に分けるとわかりやすくなるので、この区分に応じて検討していきます。

ざっと説明すると…
●「A」は外国の例を参考にしつつ日本における高速道路用案内標識の様式を試行錯誤して検討した時代です。検討にあたっては、諸外国の事例なども調査等が実施されましたが、特筆すべきは米国カリフォルニア州道路部の調査報告書「Driver Needs in Freeway Signing」でしょうか。当時としては体系だった書籍であったことから日本側でもかなり参考にしたようで、デザインそのものについては結果的に日本独自の高速道路用案内標識が規定化されたものの、設置方向や考え方等はこの調査報告書の影響が見受けられます。(今回Up分にはこの調査報告書はあまり登場しませんけど…)
●続く「B」は日本独自の高速道路用案内標識が揃った時代です。ただし、設置方法などにおいては現代の標識体系とはかなり異なる部分が多く、やや「荒削り」の感を受けます。下手なたとえをするのであれば、Windows95が発売される前のWindows3.1や単体MS-DOSという感じでしょうか。
●「C」は名神高速時代に判明した改善点を反映させた時代です。作者KAWASAKIとしては、現代につながる高速道路用案内標識の骨格が定まったのは「B」よりもむしろ「C」の時代と考えます。
●そして「D」はローマ字併記化のもの。単にローマ字併記がなされただけかと思いきや、重要な「確認標識」などはこの時まで実際の運用と政令でズレが生じており、この時にようやく整合性がとれることとなりました。

今回は上記「A」の時代区分を詳述していきます。



A 試験検討時代

(1)配色の選定

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[↑当時の一般道路用案内標識]

まず、高速道路用案内標識の配色について。

当時の日本の一般道路における案内標識は「白地に青文字」というのが基本形という中、1962年の政令改正によって「青地に白文字」という標識も登場し始めた…という時代でした。その一方で諸外国の例をひもとくと、「白地に黒文字」「黄地に黒文字(日本における現在の警戒標識のイメージ)」「緑・青・黒地に白文字」があったようです。
『名神高速道路建設誌』では「本質的に最良の配色というものはなく、各国それぞれの国情に合ったものを使っていると考えられる」「読みやすさについては、~ほとんど優劣のないことが判明している」としており、配色選定にあたってあまり強い誘因は無かったことが伺えます。ただし、「青または緑を地色とし、文字を白色にした場合には、文字の部分だけに反射材料を使用することにより、大きい視認距離を最も経済的に確保できる利点がある」ということと「青はドイツのアウトバーン、緑はアメリカで州際道路とその他の高速道路に採用されている」ということを理由として、「青地に白文字」または「緑地に白文字」の2パターンに絞って検討されることとなりました。

そして、日本ではそこから「緑地に白文字」を選択するに至ったのですが、この点については色々な書籍を見ても確たる理由はないようです。日本道路公団の資料でも「(緑地と青地)の間では、心理学的な問題及び視認距離に及ぼす効果にほとんど差がない」としており、機能的に有意な差は無いとしています。唯一の差異としては、「偶然判明したこと」として「青の地色は夜間ヘッドライトで照らした場合には、だれの目にも緑色として映る欠点があった(=緑地の方が有利)」ということを理由として挙げていますが、これについては「緑が採用された唯一の説明のつく理由」というあまり煮え切らない言い回しになっています。「偶然判明したことが、唯一の説明のつく理由」という何ともまぁ行政的な文章です(笑)
他に考えられるのは「『青地に白文字』は既に一般道路の案内標識として利用されているため、高速道路用案内標識を一般道路用案内標識と特に区別するのであれば『青地に白文字』は検討対象から除外され、必然的に『緑地に白文字』が残る」という論法でしょうか。いずれにせよ、当時の検討過程においては『緑地に白文字』または『青地に白文字』の2パターンを軸に検討し、どちらでも有意な差は無かったが結果的には『緑地に白文字』を採用することになった…ということのようです。



(2)デザインの検討

粟津潔氏・泉信也氏・杉浦康平氏など、当時の若手デザイナーに標識のデザイン作成が依頼されました。
そして、どんなものが出てきたかというと、下のようなものです。

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いや~何だか昭和30年代というのに近未来的ですね(笑)。
右下のものなんかは、「近」や「京」という文字だけデカくして、これで「近江八幡」や「京都」を標示しようとしていたというからすごい話。全体的に、現代人から見れば何かの暗号じゃないかと思ってしまうシロモロばかり(笑)
さすがにこれらについては「アイディアとしては真に興味ある作品であったが、あまりにも観念的なデザインにかたより、高速道路の案内標識としての基本的要求を満たさない点が目だった」ということで、だいぶ修正を加えられた四案を最終候補とすることになりました。

ここから先はまた次回に…。

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