昭和34年6月10日建設省告示第1155号

2012年01月21日 22:18

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↑官報第9737号(※記載されている地図はこの告示とは無関係です)

官報情報検索サービスより引用です。
東京-名古屋間の高速道路のルート選定が難航していた件については、このブログの「東名高速道路の終点」で触れていたところですが、まぁ要するに東京-名古屋間の高速道路を「東名高速道路ルート」とするか「中央自動車道(東山道)ルート」とするかで大いにモメていたわけです。この建設省告示は、そんなさなかに出された工事調査に関するもの。原文は下記のとおり。



官報第9737号 昭和34年6月10日水曜日

建設省告示 第千百五十五号
 建設省設置法(昭和二十三年法律第百十三号)第十三条第四項の規定により、次のとおり関東地方建設局をして中部地方建設局の所管区域において工事に関する調査を実施させる。
 昭和三十四年六月十日
     建設大臣 遠藤 三郎 

一 調査の種類 東京・名古屋間高速自動車国道の計画線等に関する調査
二 調査の区間 山梨県南巨摩郡早川町から静岡県安倍郡井川村まで
三 調査の期間 昭和三十四年四月一日から昭和三十五年三月三十一日まで



あくまでも「調査の種類」を「東京・名古屋間高速自動車国道の計画線」と言っているのがミソですね。「東名高速」や「中央道」という言葉はこの時期は全く出てきていません。
そして、注目すべきは「調査の区間」に「静岡県安部郡井川村」が登場していること。早い話、静岡県の北側のとんがっている部分であり、南アルプスのまっただ中(=東山道ルート)に東京・名古屋間の高速道路を通そうとしていたわけです。

東京・名古屋間の高速道路ルート検討にあたっては、それまでの「国土開発縦貫自動車道」の経緯から、当時は中央道(東山道)ルートの方がやや優勢。この調査も東名高速道路ルートに先駆けて実施されたと思われ(※あくまでも戦後になっての話)、実際に東山道ルート(中央自動車道富士吉田線)たる東京・渋谷区-山梨県河口湖町の高速自動車国道指定も東名高速道路より早く告示されることとなりました。

しかしながら、南アルプスに高速道路を通すということが現実問題として非常に困難ということが判明したのか、先述の高速自動車国道の指定も山梨県河口湖町まででストップ。東山道ルート(富士吉田線)で1963年に着工したというのに、翌1964年には南アルプスに高速道路を通す計画は実質的に中止となり、長野県岡谷市経由のルート(現在の中央自動車道ルート)の変更が決定されます。

東名高速道路ルートとするか中央自動車道(東山道)ルートとするかは、日本の高速道路黎明期における大論争であったわけですが、この告示に基づき実施された調査こそが、その後のルート決定に大きな影響を与えたのではないか…と思えて、結構重要な告示なんじゃないかと思います。

※ちなみに、東京・名古屋間の高速自動車国道の調査については翌年にも中部地方建設局が参画する形で告示が出されています。

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