中央自動車道における段階建設

2011年12月19日 21:03

日本で最初に開通した高速自動車国道は名神高速道路。
では、日本で二番目に開通した高速自動車国道はどこかというと、1967年に部分開通した中央自動車道になります。
(※ちなみに東名高速道路が部分開通したのは1968年のことですが、翌1969年には早々に全線開通に至りました。中央自動車道は最初の区間の開通こそ東名高速道路よりも早かったのですが、その後のルート変更等で諸々時間がかかり、全線開通したのは1982年のことです。)

この中央自動車道は、東名・名神高速とは異なる山岳路線であり建設コストが大きくなること、また通行量も東名・名神高速ほどには望めないという難点がありました。
そこで考え出されたのが「段階建設」という手法。「当初交通量が2車線の実用交通量以下であること」「当初建設費と追加建設費の現在価値の合計が四車線同時建設費より大でないこと」などの条件を満たすことを前提に、まずは二車線で供用させ、ある程度時間を経てから残り二車線を開通させるもの。今となっては「暫定二車線」と呼んだ方がわかりやすいでしょうか。

しかしながら、この「段階建設」における暫定二車線方式は、現在とは大きく異なる点あります。
もっとも衝撃的なのは、センターラインが白色破線であること!!
当方も「山行が」様のサイトを見て初めて知ったのですが、当時の写真を見たときはもう驚愕でした。

bl-lz19c.jpg bl-lz19d.jpg

画像は「中央高速道路建設誌」から引用していますが、どちら対面通行であるにも係わらず追越OKです。
制限速度も山岳区間こそ60km/hで設定されていたようですが、基本的には名阪国道(当時)の例をふまえて70km/hで設定したのだとか…。今ではとても考えられません…。
当然ながら、中央自動車道では対面通行区間において追越等による悲惨な事故が続出。
対面通行区間での追越しがあまりにも危険であることから、対面通行区間の中央線にポールを設置し、追越しを厳禁とする措置が後にとられることとなります。

日本を代表する高速道路と言えば「東名高速道路」や「名神高速道路」がまず挙げられると思います。
しかしながら、中央自動車道では「段階建設(暫定二車線方式)」が初めて採用され、以後の日本における高速道路建設の一つのモデルとなったこと、高速道路標識の体系も名神高速道路よりは中央自動車道のものが基本となったこと(後日詳述します)を踏まえると、紆余曲折を経ながら全線開通に至った中央自動車道こそ、良くも悪くも日本の高速道路建設史を如実に投影した路線であるのではないか…と思えてきてしまいます。

スポンサーサイト


最新記事