県道の整理番号と路線名

2011年10月23日 10:51

「静岡県道65号浜松環状線」という呼称はそもそも正しいのか。
「県道65号」「県道浜松環状線」ではだめなのか。
当サイトでもよく使う言い回しである「静岡県道65号浜松環状線」のような呼び方は、たぶん道路マニアの間での便宜上の言い方なのではないか…ということで、ちょっと経緯を追いつつ考察していきたいと思います。
なお、今回の内容は、本日更新した当サイトの「道の用語集」にも反映しています。


1 二級国道のケース .

検討にあたっては、かつて存在した二級国道が一つの参考になるかと思います。
かつて二級国道が存在していた時代は、3桁国道には国道番号のほかに路線名もついていましたので、「国道番号+路線名」が正式名称でした。たとえば、青森市から秋田県能代市を結ぶ国道は「国道101号青森能代線」、青森県八戸市から秋田県大館市を結ぶ国道は「国道104号八戸大館線」が正式名称となります。その後、1965年に二級国道を廃止のうえ一般国道に統合することになりましたが、この際に旧二級国道における「路線名」は全て削除され、現在は全ての国道が国道番号を持つのみとなっています。


2 本題:県道のケース .
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[↑ 1923年(大正12年)の秋田県告示。整理番号の記載は無い]

じゃあ、県道の場合はどうなのかというと、大正時代の道路法制定時に登場した県道は、当初は路線名だけで番号などはありませんでした。この経緯は県によって異なるようで、秋田県の場合は1920年(大正9年)の道路法施行当時は県道認定の告示にも整理番号はなく、1928年(昭和3年)の告示から県道の「整理番号」が登場するようになります。このときの「整理番号」は単なる「通し番号」のようで、番号そのものにあまり強い意味はなかったようでした。

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[↑ 1928年(昭和3年)の秋田県告示。この告示から整理番号が登場]


その一方で静岡県の場合は1920年(大正9年)の告示はもちろんのこと、戦前の告示には「整理番号」の記述が全く無し。戦後になって1952年(昭和27年)に道路法が改正されてもまだ「整理番号」が登場せず、1955年(昭和30年)の県道認定告示からようやく静岡県でも「整理番号」が記載されるようになります。当時の整理番号は、どちらかというと県における内部事務のための整理番号という意味合いが強かったと思われ、わざわざ告示する必要性には乏しかったように思います。


その後、1971年(昭和46年)になって「県道番号」の標識(いわゆる「ヘキサ」)が追加され、これまでの「整理番号」が「県内部事務のための整理番号」から「道路地図や標識で広く周知するための番号」に性格が変わりました。ヘキサが追加された際の通達として、下記の文書が残っています。

bl-lx23c.jpg

「県道番号」について現在のような(1)「主要地方道は2桁まで」「一般県道は3桁」という区分、(2)2県以上にまたがる県道路線はそれぞれの県で同じ番号になるように連絡調整する、というルールはこのときになって定められたものです。
静岡県や秋田県でもそうなのですが、だいたいこの時期に県道の整理番号を大改正する告示が行われています。



3 結 論 .

では結局「県道65号浜松環状線」という言い方は正しいのか。
この「県道65号浜松環状線」はあくまでも個人サイトやWikipediaなどで使用されてはいるものの、道路情報交通センター・各警察の交通規制・民間ラジオ放送などの交通情報では番号無しでの「県道浜松環状線」という呼称が一般的になっています。これは、県道の呼称は伝統的に「県道+路線名(番号無し)」であったこと、「路線名(浜松環状線)」だけで県道路線の特定が可能であること、県の告示で言う「整理番号」と上記の通達で言う「都道府県道番号」の定義が曖昧であること(神奈川県の場合は、整理番号と県道番号を別個に定めている)などなどの背景から、番号の言及をむしろ避けているのではないかな~とも思われます。
よって、「県道65号浜松環状線」のような言い方は、正式なものではない…と考えます。


とはいえ、[県道]+[○○号]+[△△線]という言い方がわかりやすく、人口に膾炙した感はあります。何より、当サイトも開設から満9周年を経て、今更サイトの県道に関わる記述を変更することはもはやできません(笑)
そんなわけで、上記のことは念頭におきつつも、今後とも「県道65号浜松環状線」のような呼称を当サイトの内部では続けていこうと思います。




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