ジャンプ台(国道113号)

2009年11月08日 08:31

今回Upした国道113号の東港線バイパスですが、何も知らずに、新潟市街の国道113号を走った人は、途中から始まる不自然な道路を見て、「これは一体何なんだろう…?」と疑問に思うことと思います。上下線で計四車線のように見えて、実は上り線のみ一方通行四車線。しかも途中で高架橋はぷっつり切れる。まるで「ジャンプ台」のような状態でこのバイパス道路は終わります。

この「東港線バイパス」と呼ばれる国道113号のバイパスは、万代橋下流に建設予定だった「みなと大橋(有料)」に接続する予定でした。渋滞の激しい万代橋の更に下流に橋梁を…という構想は何度も出てきたところなのですが、この「みなと大橋」は1965年の市民大会で架橋促進が決議されたものでありまして、1974年に架橋構想が発表されるに至り、1975年以降の都市計画決定を目指していました。接続する国道113号東港線バイパスも完成し、後は「みなと大橋」との接続を待つだけ…という状態だったのですが、その後1975年4月に行われた新潟市長選により、市長が保守系の度辺氏から革新系の川上氏に交代。この結果「みなと大橋」の建設も凍結されるに至ります。

「みなと大橋」凍結にあたって、大きな論点となったのは「みなと大橋」が有料道路で計画されていたこと。「有料の橋梁では費用対効果に疑問あり」と主張していた新市長の川上氏は、有料橋の架橋に異議を唱え、1975年12月の県議会で建設凍結が決まります。

しかし、実際のところはどうだったのか。以下、新潟日報記事より抜粋引用です。




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 みなと大橋は有料橋として計画された。だが、県関係者の一人は「あのころは表に出せなかった」と断りながら「構想が出たときはまだ、橋の部分が国道になるか県道になるか読めなかった。有料橋として準備を進めて、用地買収に入ってから国道にしてもらえば無料にできるだろうと考えていた」と明かす。
 「国道昇格を決めるのは角さん」─田中角栄元首相という実力者が本県公共事業のバックにいたことが、作戦遂行の自信になっていた。
 結果的に、みなと大橋構想は実現寸前でお蔵入りとなった。この関係者は今でも悔しそうにいう。「みなと大橋があの時代にできていれば、新潟の町並はもっと変わっていたと思いますよ」





このサイトは公共事業の是非を問うことを目的とはしていないですし、作者KAWASAKIも素人が公共財政政策論に口出すのもどうかな…と思っているところですが、この橋梁を見ると計画と理念、政治と現実というそれぞれの調和の難しさが垣間見れるような気がします。

なお、この「みなと大橋」構想は、その後30年を経て「柳都大橋」と「みなとトンネル」という2つの橋梁・トンネルによって実現されることとなります。

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