国道274号日勝峠10月末通行止解除予定

2017年08月24日 20:50

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↑北海道開発局の8月22日付プレスリリース資料より

既に新聞やテレビなどで報道されておりますが、北海道開発局及び東日本高速道路株式会社北海道支社が8月22日にプレスリリースしたところによると、昨年8月末以来台風で通行止になっている国道274号日勝峠区間の通行止解除予定が「平成29年10月末まで」になったとのこと。
国道274号日勝峠の復旧時期は、昨年11月に北海道開発局より「平成29年秋頃」という発表がなされた後でしばらく音沙汰無しの状況が続いており、「さすがに今月末には何らかの発表が出てくるのではないかな…」と思っておりましたが、やはり暦の上でも「秋」となってしまう9月になる前に開通見込みが出てきたようでした。
道東自動車道も良い路線ですが、やはり国道274号も重要な幹線道路であることには間違いないので、開通見込みだけでも具体的に発表されたのは喜ばしいことかと思います。

ここにきてちょっと思うのが、道東自動車道への評価です。
高速道路建設の是非や道路公団民営化の議論の際、「無駄な道路」として必ずやり玉に挙げられていたのは、この道東自動車道でした。その道東自動車道が、昨年の台風で一時的に通行止とはなったもののいち早く復旧。一方で、国道38号は12日後、国道273号(三国峠)は9月30日に復旧、JR根室本線→石勝線ルートは12月まで運休、そして国道274号は開通見込みが発表されたとはいえ台風災害から1年以上経ても通行止のままです。距離・経済性の面でいえば、実質的に唯一残ったといえる道東自動車道が道東からの物流を紙一重で支えてくれたわけでありまして、道東の経済団体の方に話を聞けば皆さん口々に「道東自動車道がなければ、道東経済は壊滅していた」と語ります。(当方自身も業務で道東方面に行く際は、普段なら特急一本で行けるところ一日3往復しか運行されないJR臨時特急→代行バスに乗るか、予約が取りづらかった都市間高速バスを使うなどかなりの不便を強いられました。もっとも、道東道がなければそもそもバスすら運行できなかったわけでありまして…。)

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↑札幌駅発トマム行きの臨時特急(2016/11、札幌駅にて)

今回の事象については「今回の台風が未曽有なものであってたまたま道東自動車道が役に立っただけ」「国道38号や国道236号ルートで代替できる」と言う見方もありうるかもしれませんし、「実は道東自動車道は無駄な道路ではなかった」という見方もできるかもしれません。考え方はいろいろと思いますが、これまで道東自動車道への論評をされた方におかれましては、その是非によらず、今回の台風災害によって発揮された道東道の機能と、それらが与えうる今後の道路行政への影響について、現時点での総括をお聞きしたいものだな…と思っております。
自説を変える必要があると考える、自説を変える必要がないと考える、いずれであるにせよ。


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信号小話6 交通信号設置記念日の謎

2017年07月30日 18:57

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↑8月20日は交通信号記念日。銀座の尾張町交差点など34箇所に日本初の3色灯自動式信号機が設置されたことにより制定されました



いわゆる「今日は何の日??」でたまに言及されるのが、この「交通信号の日」「交通信号設置記念日」です。
1931年8月20日に[日本初の][3色灯][自動式信号機]が設置された…ということなのですが、よくよく考えてみるとちょっとおかしいんですね。そもそも自動交通信号機は前年の1930年3月に米国レイノルズ社製(灯火式かつ三位式かつ自動式)が東京日比谷交差点に設置されていますので、「1931年8月20日が初」だとおかしくなります。


ちょっと話を整理してみます。
[仮説1 日本初の信号機ではないのか?
 これは「信号機」というものをどのように定義するか?という話になってきます。灯火式・文字式等原始的な話については前回のブログ記事「信号小話5 そもそも「信号機」の定義とは?」でざっと記述しましたので、そちらをご覧いただければと思います。


[仮説2 灯火式かつ三位式のものとしては初ではないか?]
 1927年11月に灯火式(青・黄・赤・矢印色灯)のものが東京本所原庭警察署で試験設置されています。ただ、この時は、実用化はなされず仕舞いでした。更に、1929年09月には灯火式かつ三位式のものが東京で設置されており、このときは手動で操作するタイプのものでした。よって、灯火式かつ三位式のものとしては1931年よりももっと早くに設置されていたこととなります。

[仮説3 灯火式かつ三位式かつ自動式では初ではないか?]
 前述のとおり、東京日比谷交差点に米国レイノルズ社製の自動信号機を設置したのは1930年3月のこと。なので、この説明は違います。

[仮説4 灯火式かつ自動式かつ三位式で国産の信号機としては初ではないか?]
 1930年05月に灯火式かつ三位式かつ自動式のものでは、初の国産となる信号機が東京や京都で設置されています。更に翌年6月には東京日本橋・呉服橋、大阪千日前などに設置されています。よって、1931年8月時点では既に国産の信号機が設置されていたこととなります。

…というわけで、なぜこの日が交通信号設置記念日なのか、ちょっとわからない状態です。強いて言えば、1931年8月は東京市電気局(いわゆる路面電車)が自動式交通整理機の設置申請を出した時期であり、これを機に一気に信号機が普及したという面はあります。実際、これまで路面電車の運行にあたって東京市電気局は信号人を配置してきましたが、これらを自動化したいという思惑が東京市電気局にあり、この流れが信号機の普及を後押ししていました。
交通信号設置記念日は、この辺りが関係しているのかな…という気がします。

いずれにせよ、「交通信号設置記念日」がなぜこの日なのか、そして誰が定めたモノであるのか、謎のままとなってしまいました。
あと20日で交通信号設置記念日がまた到来しますが、この謎を解ける人は現れるのでしょうか…。

信号小話5 そもそも「信号機」の定義とは?

2017年06月25日 10:51

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↑左から(警戒標識は除く)、「注意表示式交通整理器」「バタン式交通整理器」「信号標板」
(画像提供:探検コム様(http://www.tanken.com/))

長らく続けてきた「信号小話」ですが、道路交通の世界における「信号機」の定義について述べていこうと思います。
今でこそ、「信号機」とは「青・黄・赤などの灯火から構成されるもの」という意味で定着していましたが、かつては文字による「信号標板」も含まれたほか、「手信号」も別体系の信号として位置づけられていました。
戦後に「道路交通取締法」にて信号機の意味が明確化されるまでの沿革を整理してみます。



(1)「道路交通取締法」制定まで

□1919/09 上野広小路における交通標板の試験使用
 「ススメ」「トマレ」を記載した板を一定時間ごとに90度回転させる仕組みのもので、原始的な交通信号機の始まりです。ただ、時期尚早として正式採用は見送られました。一方で、同月に東京銀座四丁目などで別途開始された「挙手の合図(=後の「手信号」に相当)」が良好な結果を納め、当面はこの「挙手の合図」が使用されることとなります。

※なお、信号機の歴史に係わる多くの資料は警視庁資料を典拠にしていますが、この警視庁資料は一時誤記がそのままになっていた時代があり、注意が必要です。

□1920/12 道路取締令制定

道路取締令第18条 ~略~
 警察官吏は危険予防場其の他公安上必要と認むるときは、一時道路の通行を禁止し又は制限することを得


 これにより、「挙手の合図(=後の「手信号」)」に法的根拠が与えられることとなりました。

□1921/04. 「手による信号方法」
警視庁甲例規により「手による信号方法」を定め、各警察署で適宜行われていた「挙手の合図」を名称等とともに「手による信号方法」に統一。(警視庁では「手による信号方法」を「手信号」と略称していましたが、あくまでも警視庁管内のみの適用でした。以後各府県で制定されるものは、大阪では「手振り信号」、神奈川では「手信号」など呼称はバラバラであり、全国的な統一法規の制定は戦後の「道路交通取締法」まで待つこととなります。)

□1922/03 「信号標板」の使用 
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(画像提供:探検コム様(http://www.tanken.com/))

東京上野公園で平和博覧会を開催した際、会場入口交差点での交通整理のために「信号標板」を使用。実質的に1919年の「交通標板」の再登場となりましたが、これが好評となって以後「信号標板」が都内各地で普及していきます。

□1922/08 「交通整理器(二位式)」の使用
赤・緑の二つの円板に「止レ」「進メ」と記載した「交通整理器」が考案され、東京の主要交差点で使用されます。このときは手動で「止レ」「進メ」を切り替えることで、交通整理を行っていました。
その後、手動式のものとしては1927/08に交通整理器(三位式)や、パタン式(文字通り切り替え時に「バタン」と音が鳴った)などが登場します。

□1926/02 警視庁令第5号交通取締規則制定
「道路を通行するものは警察官吏の交通に関する指揮又は信号に従うべし」と既定され、いわゆる単純な「信号」についてもここで正式に法規上の用語となって登場します。

□1930/04 警視庁訓令告示「交通整理の信号方法に関する件」

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↑「手による信号方法」の告示

 「手による信号方法」と「信号機をもって信号する場合」に分けて規定。「信号機をもって信号する場合」については、文字表示と色灯火信号があること、色灯火信号の緑・黄・赤の意味について定められました。

□1930/03 自動交通整理信号機
 東京日比谷交差点に米国製の「自動交通整理信号機」が導入されます。ここで重要なのは初の「灯火式かつ自動」信号機という点でありまして、従来の信号機は灯火式であっても全て手動となっていました。

以上を整理すると、終戦後間もないころの信号については
●信号は「信号機」と「手信号」が存在した。
●信号機は文字表示と色灯火信号の2種類に大別できた
●さらに手動式のものと自動式のものが存在した。
…という感じになります。



(2)道路交通取締法制定

□1947/11 道路交通取締法制定
これまでの道路関係の法令は、「道路取締令」が存在しましたが、実際の細部の法規は各府県でバラバラであり、いわゆる現在の信号機(灯火式)に相当する装置も名称が「交通整理器」「交通電気表示機」「交通指導標示機」などと府県ごとに異なっていました。1947年になって制定された道路交通取締法は全国に適用される法令であり、これによってようやく交通法規が統一化されます。
この道路交通取締法では、信号機については以下のとおり規定されることとなりました。

道路交通取締法第5条
第1項 道路を通行する歩行者、車馬又は軌道車は、命令の定めるところにより、信号機、道路標識若しくは区画線の表示又は警察官吏の指示に従わなければならない。
第2項 信号機、道路標識及び区画線の意義、設置及び管理について必要な事項は、命令でこれを定める。


実は自動式信号への順守義務が法令上明確化されたのはこのときからです。(1926/02警視庁令第5号交通取締規則では、従うべき対象として「(1)警察官吏の交通に関する指揮」と「(2)警察官吏の交通に関する信号」と明記しており、警察官吏が手動で操作しない自動式信号については従うべき対象から除外されてしまう法解釈が成り立つ懸念がありました。)

更に、政令では信号機を以下のとおり定義しています。

<道路交通取締令>
第1条 信号機とは、人、機械又は電気により操作され、道路の交通に関し、「進め」、「止れ」または「注意」の信号を表示する装置をいう。
第3条第1項 信号は、これに直面する交通に対し、左の意味を表示する。一「進め」(略) 二「止れ」(略) 三「注意」
第3項 警察官吏の手信号は、左の意味を有する。(略)
第4項 信号機の灯火は、左の意味を有する。一 青色は「進め」 二 赤色は「止れ」 三 黄色は「注意」 四 青色の矢印(略) 五 黄色の矢印(略)


その後の定義文から比べるとあまり明確でない気がしますが、前述の終戦後間もないころの信号機の特徴をそのまま文章にしたという感じです。よくわからないのが「人、機械又は電気により操作」というところでありまして、「電気」はよしとして、「人」「機械」はどう区別していたのか…。「人(により操作)」は90度ずつくるくる標板を回すいわゆる「交通標板」、「機械(により操作)」はパタン式のような一応の機械的構造を持つものを指していたのでしょうか…。
このときの信号機の定義は、「踏切遮断機」や「鉄道信号」などの鉄道施設との区分を明確化することに力点を置いていたのではないかと個人的には思っておりまして、道路交通取締法の特別刑法としての厳密性という点は軽視していたように思えてきます。

1953年に道路交通取締令の一部改正がありましたが、ここではひとまず先に進みます。



(3)道路交通法制定

□1960/06道路交通法
現行の交通法規となる道路交通法が制定されました。これに伴い、信号機の定義が若干変更されています。

<道路交通法>
第2条第1項第14号
 信号機 人力または電気により操作され、かつ道路の交通に関し、文字または灯火により進め、注意、止まれまたはその他の信号を表示する装置をいう
第6条第1項
 警察官は、手信号その他の信号(以下「手信号等」という。)により交通整理を行うことができる。
同 第5項
 第1項の手信号等の意味は、政令で定める。


ここでいう「その他の信号」とは、青・黄・赤以外の「青矢印」「黄矢印」「黄点滅」「赤点滅」を指します。従来までの道路交通取締法体系では、点滅信号や矢印信号にかかわる規定への配慮が抜けていました。(一応、道路交通取締法施行令第3条第4項で矢印信号や点滅信号(閃光式)の意味も定められていたものの、同令第1条及び同令第3条第1項に定める単純な「進め」「注意」「止れ」とは厳密には意味が異なるため、法解釈によっては信号機の定義から除外されてしまう懸念がありました。まぁ、矢印信号や点滅信号も普通に解すれば「進め」「止まれ」の一類型と言えたと思います…。)

操作については「機械」が削除されて「人力または電気により操作」となりました。そして、このときはまだ「文字または灯火」とありますので、信号標板のような文字式のものも引き続き「信号機」と位置付けられる状態が続きます。



(4)道路交通法1971年改正

□1971/06道路交通法改正


<道路交通法>
第2条第1項第14号
 信号機 電気により操作され、かつ道路の交通に関し、灯火により交通整理等のための信号機を表示する装置をいう


さりげなく改正されていますが、この時のミソは信号機の定義を「灯火式」のみとし、電気によらないもの(人力式)、文字により表示されるものは信号機の定義から外したことです。これによって、いわゆる交通標板は法令上定義される「信号機」の範囲から除外されることとなりました。逆を言えば、1971年までは信号標板も信号機になりえたわけですね…。

このように、「信号機」と言っても法令上は色々と変遷をたどっており、意外に興味深い流れだったりします。この辺を深く考察した書籍やサイトなどはあまり無いようでしたので、折角なのでちょっと拙作ブログで少しまとめてみました。
長く続いてきた信号小話ですが、あともう一回記事をUpできるかな…というところです。


※画像提供いただいた探検コム様(http://www.tanken.com/)に感謝申し上げます(^o^)/

石狩樹海ロード

2017年06月11日 22:54

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本日の更新で国道274号のうち札幌市から清水町までの区間のUpが完了しました。
当サイトの本文でも記載しておりますが、1970年の指定当初は「札幌市→帯広市」の路線であり、1991年に一旦全線開通に至っています。その際、全線開通を記念して愛称を公募した結果、長沼町から清水町までの愛称が「石狩樹海ロード」となりました。
まぁ、個人的には長沼町→由仁町・夕張市の区間は「三川国道」という愛称のイメージが強いかな~と思いますので、何となく「夕張市(or由仁町川端)→清水町」の区間の方が「石狩樹海ロード」っぽい樹海区間というような感じもしております。

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現在、石狩樹海ロードである国道274号の日勝峠前後は2016年の台風災害により通行止が続いています。通行止解除の見通しは2017年秋頃とのこと。今のところ道東自動車道があるおかげで物流途絶にまでは至っていないとは思いますが、早期かつ着実な復旧を待ちたいと思います。

※画像は、むかわ町にある開通記念碑です。あまり目に触れられることもないかもしれませんが、石狩樹海ロードの由緒を記録してくれている貴重な存在と言えます。

[KAWASAKI-JR6045]

信号小話4 矢印信号

2017年05月26日 22:22

日本では青色の矢印は車両用の信号、黄色の矢印は路面電車用の信号として確立されています。
このルールは世界的に見ると変わったルールとなっていまして、これは日本における矢印信号というものの独特な発展という背景があるように思います。

■矢印信号の登場

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↑作者KAWASAKIによる下手なイメージ図。

日本で矢印信号が登場したのは1927年11月のことで、信号機の歴史の中でもかなり早い部類に入ります。この時は東京・本所原庭警察署で試作されたもので、一般交通信号は「赤・緑」の二位式、電車用信号が黄色矢印とするものでした。この時は時期尚早として構内試験のみで終わっています。

■矢印信号の確立

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↑現在の黄色矢印信号

そして、1930年に日比谷交差点で日本初の自動式(かつ灯火式)信号機が設置され、その3年後となる1933年4月に東京・王子駅前で黄色矢印を使用した信号機が採用されました。東京・王子駅前は軌道の分岐路などがあり、元々複雑な交通整理が必要な箇所。複雑な交通をさばくためには、単純な「青信号」ではなく、路面電車専用で分岐する進行方向ごとの信号現示を必要としていたのですが、この際に「黄色矢印信号」を使用することで多分岐の交差点にも対応できるようになりました。この時にあわせて一般交通向けの「青色矢印」信号も採用されています。

元々まだ自動式信号機が本格的に普及する前の時代だったと言うこともありますが、当時の東京市電(後の東京都電)の分岐路などでは複雑な交通整理が必要となるために単純な自動式信号機では対応しきれず、路面電車側は信号手が電車信号や転轍機を手動切替えし、一般向けの道路交通は警察官が手信号などで交通整理していたという状況でした。しかしながら、どちらも「手動」の対応だったうえ、路面電車側と一般交通向けそれぞれで信号手と警察官の複数人で処理していたために、いずれかが間違った手動切替え・手信号を行うと悲惨な事故に直結。

そんな折に登場したのが「矢印信号」。機械の設定さえしっかりしていれば人為的な信号ミスが発生せず、事故の著しい減少を達成することができました。その後、王子駅前の設置は非常に効果的な運用方法と判断されたことから、王子駅前に続いて東京市電の駒形橋西詰の五差路に黄色矢印信号と青色矢印信号が設置され、複雑な交通整理に貢献。軌道の分岐点を中心に設置数が増加していきます。警視庁でも1934年10月の告示により「橙黄色の矢印信号は電車に対し矢の方向への進行を示す」「緑色の矢印信号は電車以外の交通に対し矢の方向への進行を示す」と明確に規定され、法令上の根拠も確立。他の主要府県でも同様な措置がとられ、矢印信号が普及することとなります。

そんなわけで、矢印信号というのは路面電車軌道の交通整理という要請をもって、日本においてはかなり早い時期から発達することとなりました。考えてみると、「なぜ日本で黄色矢印信号が路面電車用信号になったのか」と言う理由は、1927年の本所原庭警察署での試験信号でたまたま黄色矢印信号を使用したから…ということになるのかもしれませんが…。

■右折用青色信号

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↑現在の青色矢印信号(右折じゃないですけど…)

青色矢印信号は既に戦前から存在しましたが、右折待ち車両処理のための右折用青色矢印信号が出現したのは1948年10月のことです。ただし、当時の交通取締規則は「右折する際は、一旦道路の左側で停止し、対向車線が空いたら右折進行すること」という現在ではありえないルールになっていたため、右折待ち車両対策の処理にするに当たっては基本的に「対向車線を赤信号で停止させ、こちら側の車線は直進青色矢印と右折用青色矢印を同時点灯させる」という特殊な運用方法となっていました。(一応、「交通取締規則の例外」として右折車線を特別に設置していたようですが…)

その後、右折時の通行方法は「交差点中心線の直近外側を走る(外小回り)」に一旦変更された後、現行の「交差点の中心の直近内側を走る(内小回り)」に落着したため、以降は右折用青色矢印信号を対向車線のものと同時点灯させることが可能となり、現行のように「青信号→黄信号→赤信号→赤信号+右折青矢印→赤信号」*というサイクルが活用されています。
*近年は右折青矢印消灯後に黄色信号が入るタイプが主流ですが、まぁそれは置いておいて下さい。


■国際的な見地からの矢印信号

欧米など諸外国でも矢印信号は発達することとなりましたが、ウィーン条約で規定する矢印信号の意味はかなり異なっています。たとえば下を参考にすると…。

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上の信号機は左側が歩行者用信号機、右側が車両用信号機なのですが、車両用信号機については全て矢印信号となっています。車両用信号機の灯火はいずれも右折方向に係わる交通のみを制御しており、一番左の画像は「右折車両は青信号(右折進行OK)」、中央の画像は「右折車両は黄信号(右折方向は急ブレーキでなければ止まれ)」、右の画像が「右折車両は赤信号(右折進行不可)」という意味になります。
(左端の画像だけ黒地に青色矢印となっていますが、ウィーン条約上は青・黄・赤を地の色にしても矢印の色にしても意味は同じとなります)

日本では路面電車軌道のための黄色矢印信号が独特な発展を遂げたためか、諸外国で意味する「黄色矢印=矢印方向の『注意』の意」とは全く異なる意味を有することとなりました。黄色点滅・赤色点滅も先述のとおり諸外国の大勢とは全く異なる意味になってしまっていますが、日本国内もだんだんと国際化の波に飲まれつつある中であり、遠くない将来で信号機の意味の見直しが行われることになるかもしれません…。

[KAWASAKI-SO120O]
[KAWASAKI-GK9213]
[KAWASAKI-GN6167]


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