2012年05月14日 21:04

現在の国道網が指定される前の「大正国道」の時代は全ての国道の起点であった日本橋。現代においても、国道的に言えば、万物の根源にして全ての始まりとも言えます(おおげさ?)。
今更ながら感もありますが、ちょっと取り上げてみます。

1 日本橋の北側より南方向を望む

↑日本橋の北側より。頭上を走る高架橋は首都高都心環状線。日本の名所たる景観が高架橋建設によって崩されてしまったと言うことで、長い間物議を醸しています。

↑現在の日本橋は、1911年にかけられたアーチ型の洋風橋梁なのですが、日本橋の柱には獅子と麒麟の像がありまして、和洋折衷の趣も残しています。獅子・麒麟の像も一個一個で表情が違うのだとか。手前の獅子が持っている歯車のようなものは、東京市章だそうです。
2 日本橋の南側より北方向を望む

↑今度は南側より北方向を望んだところ。作者KAWASAKIは日本橋へ何度も来ているんですが、うまく撮影するのはなかなか難しいな…と毎回感じています(笑)

↑日本橋の北側から南方向を望んだところ。個人的には、日本橋の北側は八重洲ブックセンターや三越本店があったりするので、南側がオフィス街、北側は商業地という印象があります。(実際のところはそうでもないんですが)
3 元標の広場

↑日本橋の北側には「元標の広場」というものがありまして、色々石碑などなどが設置されています。
もう既に人口に膾炙した感がしていますが、一応紹介。

↑まずは「日本国道路元標」。「元標の広場」に設置されてある物はレプリカでありまして、本物は日本橋のど真ん中の路面に設置されています。都電廃止に伴い1972年に旧「東京市道路元標」を撤去した際、その跡地にこの「日本国道路元標」が路面に埋め込まれました。

↑じゃあ、1972年まではどんなものが設置されていたかというと、このような鉄柱が設置されていました。中央下部に「東京市道路元標」とありますが、都電(旧東京市電)の電柱としての機能も持っていたのだとか。都電自体は1967年に廃止となり、1972年の電柱・架線撤去に併せて、「東京市道路元標」が「日本国道路元標」に付替えされるに至ります。
ちなみに「道路元標」は1919年の旧道路法によって定められたものですが、当時の国道(いわゆる大正国道)は全て東京の日本橋を起点にしていたため、当時の道路法施行令ではわざわざ「東京市に於ける道路元標の位置は日本橋の中央とす」と明記されており、日本各地の道路元標の中でも別格な位置づけであったようです。

↑南方向の里程標。この日本橋から鹿児島市まで国道がつながっているんだなぁと思うとしみじみです。
鹿児島までは1,469kmとなれば、相当な距離です。
※「米千」で「キロメートル」と読みます。

↑こちらは北方向の里程標。青森市の「736km」は国道4号をひたすら走った場合の距離でありまして、日本橋がその国道4号の起点である以上記載されて当然ではあるのですが、札幌市の「1,156km」はどういう経路の距離なんだろうか…とどうでも良いことが気になったりします。

↑日本橋のアーチを横から眺めたところ。この光景をどうとらえるかは人によりけりだと思いますが、作者個人としては「近代と現代がいろんな意味で交錯した橋梁だなぁ~」と思っています。






























最新コメント